No.5の続き
審査と言うが、審査出来る者も限られる。
いくらお役所の方が、頭が良くても、周期的に人事を移動していれば、ほぼ素人であったり、経験不足な者もいる。
構造計算は、さすがにそんなに簡単なものではない。
解らないまま審査していたりする。
最終的には責任者等が確認はするであろうが、そんなに時間を掛けられるものではない。
元々完全審査など行っていない。
だから、偽造を見逃しても(耐震偽造事件は、ちょっと酷いが)次から見逃さないようにするだとか、画期的な解決策などない。
それを大臣認定プログラムで有れば、あまり知識が無いものでも、マニュアル通りの審査で、安全が確認できるようにしたかったのだろう。
結局妄想に過ぎず、審査が楽な建物は、限られる事になる。
実際は、こんなものである。
ただ現場で審査する者は、まじめに取り組んでいる。
そこは、攻めてはいけない。
システムが悪い。
審査出来る者を育成する環境を国が提供し、将来を見据えたビジョンを持つべきである。
それが残念な事に、良くない方向に進んでいるように思えてならない。
お役所や民間検査機関の審査を第三者機関が更に審査する対策を打ち出した。
当初第三者機関は、お役所や民間検査機関の審査が、適切で有るかの審査をするのが、目的であったはずだ。
従来通り申請元が責任を持ち審査し、そこに第三者機関が誤りがないよう助言をする。
今考えても、その形が理想的であると思う。
が、第三者機関の審査が始まってみると、第三者機関に重く責任がのしかかっている。
最も最悪な事例では、役所は構造的な審査を第三者機関に丸投げし、書類の誤字脱字等のみをチェックしているのだ。
おっと!これは夢の話だったかな?
更に夢の話を進めます。
つまり役所は構造の審査をしていないから、後で偽造等が発見されても、第三者機関の責任が非常に重くなると言うストーリーだ。
しかも、同じ会社の中で民間検査機関業務と第三者機関業務を行っている場合が多い。
(一つの物件では、第一審査と第三者機関の審査は、別会社が行う。
ただし今後同じ社で行われる事になるかも知れない。
そんな噂もある。)
結局役所(国)は責任を取らず、民間(個人が)責任を取る。
更に民間検査機関も第三者機関も基本はマニュアル審査しかしておらず、全責任を取る事は出来ないため、設計者の責任で構造計算を行う事に明確になった。
更に建築基準法は、最低限の基準でこれを満たせば、安全だとは言えない。
設計者の配慮が必要だと。
いくら審査しても、基準に乗っ取った範囲内であり、それでは安全でない事もある。
その場合は、設計者の配慮が足らなかった事になる。
疑問に思う不適切である基準も存在するが、その通り設計して支障が起これば設計者の責任である。
自分たちの作った基準に対しても、その責任を個人になすりつける。
(具体的にどんな基準が問題かは、後に紹介出来ればと思う。)
これからも、偽装事件が起こるかも知れない。
その時は、国は責任を取らない。
個人が悪いのだ。
その構図が出来上がった訳である。
一般の方は、誰であろうと責任取る人が居れば、それで良いと思うかも知れない。
ところが、設計者がそんな責任を取れると思うか。
責任保障のリスクと設計料は、全くつり合いの取れない話で、現実それらを保険に頼ろうと考えても、保険代すら支払う事も出来ない設計者が沢山いる。
そんな設計者の場合、建物の持ち主は、泣き寝入りである。
明らかな偽造は、普通に審査すれば見付けられる事が多いだろう。
恐らくそんな事をまたやろうと思う者は、少ないのではないかと思う。
ただ、故意でないミスや設計者のレベルにより、基準をどう捉え如何に個々の建物に反映するかは、設計者の責任であり、優秀な設計者を選択するのは、一般庶民の責任になる。
自己責任!
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